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’80s アメリカの旅1

1.アメリカ入国

 

1980年代半ばの10月。大学を休学した僕はカリフォルニアに向かう飛行機の中にいた。長いフライトの後やっと到着したロサンゼルスの街を窓から見おろしたとき、これから始まる旅への期待で胸が高鳴った。

 

12時過ぎに空港に着いて飛行機を降りると長い行列に並んだ。税関を抜けるのに1時間以上かかった。聞きしに勝る混雑だ。個人旅行者に厳しいといわれる入国審査では案外すんなり四ヵ月の滞在許可を出してくれた。インドで懲りて代表的な問答を事前に予習した成果だろうか。本当はもう少し長く滞在したいと思ったのだが、昨年より観光ビザでの滞在に対する規制が厳しくなり(原則3ヵ月、長くて4ヵ月)、かなり厳格に運営され始めた。4ヵ月を認めてもらえただけでもよしとすべきなのだろう。時間は14時になっていた。

 

空港を抜けると森田に電話した。地元の友人である森田は、家業を継ぐためサンタモニカに留学して宝石鑑定の勉強をしていた。僕は待ち合わせ場所のタクシー乗り場へ歩いた。そして歩道にバックパックを置いて、その上に座った。少し眠くなり始めたころ、ねずみ色の車が目の前で急停車した。15時を少し過ぎていた。「わりぃ、わりぃ。待った?道がでぇれえ混んどったんじゃ~」と言いながら車から降りてきた森田は、あいかわらず人懐っこい笑顔で「時差ボケ大丈夫?」と聞いた。

 

日本からの乗換地であるソウルを出発した後すぐ時計を17時間遅らせた(19時発のとき午前2時にした)ためか時差ボケは特に感じなかった。時差のある場所へ行くときは常に出発直後に時計の針を現地時間に変えて眠ることにしている。この時差ボケ対策はかなり効果的だと思う。ソウルで乗り換えたのは格安航空便の大韓航空で来たからだ。日本航空は高根の花だった。

 

荷物をトランクに入れて車に乗りこんだ。森田が椅子に転がっているラジカセのスイッチを入れると聞いたことのある英語の曲が流れてきた。カーステレオはついていないようだ。フリーウエイに入ると車はどんどん加速した。スピードメーターはやっぱりマイル表示なんだな・・・などと妙なことに感心した。

 

途中スーパーで買い物をして森田のホームステイ先へ行った。サンタモニカの閑静な住宅街にある大きな一戸建だ。あたりのどの家も芝生の庭に木が植えられていた。大家の奥さんは愛想よく出迎えてくれた。今日はここに泊めてもらうことになっている。

 

夕食は2人で料理したおでんだった。先ほどスーパーで買った具材を使った。記念すべき第1日目のディナーだし、ステーキとかアメリカらしいものを食べてみたいような気も少ししたが、意外にうまかった。夕食後にビールを飲んでいると、「これからどうするん。もう2~3日うちにおってくれたらええで。俺は明日学校じゃけど、気にせんでのんびりしたらええで。」と森田が言った。

 

その時、そういえば当面の具体的な計画を全く考えていないことに今さらながら気付いた。そもそもこの旅自体が好奇心だけで始めた行き当たりばったりのものだったこともあり、とりあえず森田のところでしばらく様子をみてからどうするか考えてもいいだろうぐらいにのんびり構えていた。でもよく考えれば、ホストファミリーもいつまでも居候にいられるのは迷惑だろう。やはりなるべく早くここを出るのが礼儀だよな、とにわかに思い始めた。

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